公開日 2013年05月15日
洋野発祥『南部もぐり』の歴史についてご紹介します。
わが町「洋野」は、日本に南部もぐりを生んだ町
太平洋に面したわが洋野町(旧 種市町)に潜水夫が生まれて、すでに100年以上の月日が経過しています。日本の潜水業界に名をとどろかす「南部もぐり」の生きてきた道をたどることは、海に育まれ、海と戦ってきた、この町の歴史を知ることにほかなりません。平成20年に「南部もぐり」誕生110周年を記念し開催した「南部もぐりフォーラム」では、町内外から約700人が参加しての講演会とパネルディスカッションが行われ、潜水業界の現状や課題などについて話し合い、町が誇る伝統技術の継承と貴重な資源である海の環境保全の必要性を再確認しました。町の伝統産業である「南部もぐり」をさまざまな角度から学び、潜水関係者や町民が理解を深め、洋野町に誇りと希望をもって町の発展に結びつけていきたいものです。
南部もぐりの歴史
今から約100年前の明治31年(1898年)に種市(平内)沖で貨客船名護屋丸が座礁。
その解体引き揚げ工事のために房州(千葉)から4人の潜水夫がやってきました。この房州潜りの組頭である三村小太郎が住民のひとり磯崎定吉に ヘルメット式の潜水技術を伝授したのが始まりだといわれています。素潜りしか知らなかった彼らがもしこの時、 潜水夫の仕事に関心や興味や意欲を示さなかったら、 おそらく洋野に「潜り」は生まれなかったと思われます。
南部もぐりの祖、磯崎定吉
磯崎定吉は、明治5年に種市村小橋(現 洋野町小橋地区)に生まれています。
両親は、彼が幼いころに亡くなり、そのため一家の生計を支える立場になった 定吉の暮らしは決して楽なものではありませんでした。
名護屋丸の引き揚げ作業の工事人夫として雇われ、その中で三村小太郎は定吉の潜りとしての素質を見抜きます。その時定吉は27歳でした。
作業中、風邪をこじらせて潜れなくなった小太郎は定吉に潜水服とヘルメットを身に着けさせ、ひととおり簡単に教えるといきなり海中に潜らせました。
まがりなりにも自分の代役をこなした定吉を特別に直弟子と認めることにし、潜水の特訓をしました。
その期待どおり最低でも習得するのには2年ほどかかる潜りの技術をわずか 2, 3ヶ月で身につけてしまったといいます。
一連の潜水技術を習得した定吉は綱夫の磯崎勘助とコンビを組み、 またたくまに熟練した潜りに負けないほどに、上達したといわれています。
そして十和田湖のさい銭引き揚げの成功をきっかけに磯崎定吉の名は 潜水仲間はもちろん、近隣の村々にも知れ渡り、種市の人間として始めて潜りを職業とすることになりました。
その後半生を種市の潜りの発展のために捧げ、大正11年(1922年)、50歳でその生涯を終えたのです。
弟子の育成で基礎を築く
十和田湖から引き揚げたさい銭を資金に独立した磯崎定吉は いよいよ本格的に潜水業に打ち込みながら弟子の育成に心血を注ぎました。
潜りの仕事は実力次第で大きな仕事を思うままに請け負い、自分の腕一本で稼げる仕事です。
その一方で海中に潜って特殊な作業をするためには自分の命を握る綱持ちや ポンプ押し、物資を浮上させ処理する人夫たちなど多くの人の力を必要とします。
だから仲間の協力がなければ絶対に成り立たないという宿命的なものをかかえた職業で「命綱やポンプ押しは他人には頼めない」とさえいわれていました。
そのため定吉は綱持ちの磯崎勘助やその息子仁助など、親類縁者を中心に徒弟制度を組んでいきました。
この時期の種市潜りに磯崎姓が多いのは徹底的に肉親で組織の結束を固めていった 定吉の英断の結果でした。
そして、弟子たちが技術を磨きさらに弟子をとってその技を伝え、今日の南部もぐりの基礎を築き上げたのです。
定吉の潜り教育で特に力を入れたのは、精神の鍛練であり、また、潜水夫が安全に定収入を得るための方法も模索していました。
当時はまだ船は少なく、まして沈船はほとんどなかったため解体の仕事だけでは不安定でした。
そこで、この地方に豊富な魚介類を採る沿岸養殖漁業に潜水を利用することを考え、今日の三陸沿岸の養殖漁業基礎を成しています。
また、当時盛んに行われていた大謀綱漁業と潜水の共存も図っています。
終戦後、潜水夫の地位向上と安全で近代的な職業への転換に力を尽くした 磯崎仁助もその影響を受けた弟子の一人です。
種市高校が技術者を育成
厳格な指定制度で技術を引き継いでいた南部もぐりでしたが、潜水病や身分保証などの問題を解決するために 昭和27年8月に種市潜水協会を設立しました。
同年12月には潜水士を養成する当時としては唯一の 「岩手県立久慈高等学校定時制種市分校潜水科」が開設されました。
現在の種市高等学校の海洋開発科は学習と実習を通して土木と潜水の基礎知識を学ぶことが出来る全国唯一の学科です。
生徒たちは海洋開発に必要な各種観測機器の取り扱いや 測定法についての基本的な知識と技術を習得し、海洋工事全般に携わる高度な技術者を養成するための 資格や免許も取得できるようになっています。
卒業生は港湾土木や橋りょう建設、海底調査など国内外で活躍しています。